記紀編さん1300年 宮崎関連     
            

可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地) 可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)

− 可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地) −

可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)


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先日、延岡市にある、ニニギノミコトのご陵墓とされる「可愛山陵」(北川陵墓参考地)に参って来ましたので、写真をいくつか紹介します。
北川陵墓参考地の場所は、東九州道(延岡道路)のパーキングとしての位置づけでもある、「道の駅北川はゆま」から国道10号を数キロ南へ下ったところです。 国道10号に標識が出ておりますので、分かると思います。

可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)現地案内板 可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)現地案内板

− 可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)現地案内板 −

延岡市が北川陵墓参考地前に設置している、現地案内板の説明と感想など。

現地案内板より引用

天孫ニニギノミコト終焉の地「可愛山陵」(えのさんりょう)
天岩戸隠れで有名な天照大神は、地上に平和をもたらす為に、孫のニニギノミコトを天つ神の国「高天原」から地上に遣わしました。
高千穂に降臨した天孫ニニギノミコトは、地上に稲作を伝えながら争いを鎮め、笠沙(愛宕)山にたどりつきました。
そして、海と山の二つの神の称号をあわせ持つオオヤマツミの娘コノハナサクヤ姫と出逢い結婚しました。
やがて海幸彦・山幸彦を含む3人の息子が生まれ、山幸彦の孫が初代天皇神武天皇となりました。
ここ可愛山陵は、天孫ニニギノミコトの御陵墓の参考地として宮内庁から認定されています。
また、大崩山の麓にある祝子川(ホオリガワ)温泉美人の湯には、山幸彦(ホオリノミコト)が生まれた時に祝子川の水を産湯に使ったと伝えられることから、山幸彦の像が設置されています。 / 延岡市 引用おわり
〔感想〕
「出逢」という部分が修正されていたのが妙に気になる性格(笑)普通に「出会」とでも書いてあったのでしょうか?
地図の部分で、祝子川温泉(ほおりがわおんせん) 愛宕山(あとごやま) 可愛山陵(えのさんりょう)が結ばれて三角形を形成しておりますが、愛宕山についてはこの説明には出てこないので、何の意図がある図のか、一般の方には意味不明かと思います。
インターネット等で他の解説文などを参照すると、二二ギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会った所が、笠沙の岬(今の愛宕山)とする説もこのあたりでは伝わっているようです。
このあたりの説明書きも必要ではなかっただろうか?と、思ったりもします。

祝子川温泉(ほおりがわおんせん) に対する当サイト内関連ページ
祝子川温泉美人の湯 → 神さん山

可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地) 可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)

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御陵墓参考地

陵墓参考地(りょうぼさんこうち)とは、古記録、地域伝承、墳丘の形態や規模、出土品等により、宮内庁によって皇・皇后陵、皇太子の墓などの可能性があるとされている古墳で、全国に46ヶ所あります。
ニニギノミコトの御陵墓参考地としては他に、西都原の「男狭穂塚陵墓参考地があります。
男狭穂塚(オサホツカ)の横にある女男狭穂塚(メサホツカ)は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の御陵墓参考地とされております。この二つの古墳は、西都原古墳群にありますが、御陵墓参考地は宮内庁管轄となり、古墳群とは分離されており、立ち入ることは出来ません。
県内では他に、鵜戸陵墓参考地があります。

参考まで九州内に御陵墓参考地は7ヵ所あり、以下
勾金陵墓参考地 福岡県 田川郡香春町鏡山 天武天皇皇孫長親王王子河内王
佐須陵墓参考地 長崎県 対馬市厳原町久根田舎 安徳天皇
花園陵墓参考地 熊本県 宇土市立岡町 安徳天皇
北川陵墓参考地 宮崎県 延岡市北川町長井 ニニギノミコト
男狭穂塚陵墓参考地 宮崎県 西都市三宅 ニニギノミコト
女狭穂塚陵墓参考地 宮崎県 西都市三宅 コノハナサクヤヒメ
鵜戸陵墓参考地 宮崎県 日南市宮浦 ウガヤフキアエイズノミコト


以下のリンク先なども参照されると良いかと思います。
みやざきの神話と伝承101より 可愛山陵・ニニギノミコト葬る
可愛岳と可愛山陵・「花米」を供え参詣
「日向三代」の御陵を示した地図は下記が参考になります。
神代三山陵の伝説・伝承地マップ(地図)(GoogleMap)
 
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西郷隆盛宿陣跡資料館

「北川陵墓参考地」のすぐ近くには、西南戦争時に北川へと敗走した西郷隆盛が宿陣をはった家が保存されており(県指定史跡)、「西郷隆盛宿陣跡資料館」として西郷隆盛の遺品やゆかりの品々を展示しています。

西郷隆盛宿陣跡資料館 西郷隆盛宿陣跡資料館

− 西郷隆盛宿陣跡資料館 −
現地案内板より一部引用

可愛嶽突破

1877年(明治10年)8月15日「和田越の戦」に敗れた西郷軍は、北川町俵野の児玉熊四郎宅に窮した。
同16日には党薩諸隊に対し、解散令を出した。同17日の軍議は降伏か、決戦か、突破かの選択がせまられた。
午後4時、西郷隆盛は「全軍まず進んで三田井に出、然る後その方向を決するも遅からず」との決意を表明した。
(中略)
総勢約600人が可愛嶽の頂上を目指した。18日午前4時半、英式ラッパの一声で総攻撃開始された。
ふいをつかれた官軍は総くずれとなり、第一旅団 野津少将は日の谷へ、第二旅団三好少将は屋敷野の前衛隊へ逃れた。
可愛嶽突破に成功した西郷軍は、西に進み、和久塚地蔵谷で一夜を明かし、上祝子でさらに一夜を明かし、20日に鹿川を越え、鹿児島への敗走の途についた。 / 延岡市教育委員会  引用おわり。


明治10年、この地で西郷隆盛は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の陵墓と知っていたのでしょうか? 既に政府により明治7年に薩摩川内市の新田神社が可愛山陵と治定されてはおりましたが、もしかすると、地元の方から伝えられていたかも知れませんね。

「道の駅北川はゆま」と「西郷隆盛宿陣跡資料館」前で、ニニギノミコトと西郷隆盛二人が肩を組み並んだ、「顔ハメ看板」(観光地にある記念写真を撮る顔の部分を抜いた看板)を見かけました。
「道の駅北川はゆま」に関しては、これらの伝承・史跡が近くにあることは、全くと言っていいほど知られてないでしょうから、きっと一般の方にとってこの看板を見た時、神話と幕末、実にミスマッチなお二方に、これ何だろぅ???と不思議に思われることでしょうね(^^)。

インターネット上に発信することにより、多くの方に、知って頂ければと、余談にはなりますが、最後に「西郷隆盛宿陣跡」についても今回ふれさせていただきました。




最後に、現地にていただいた案内広告「西郷隆盛と天孫ニニギノミコト」をご紹介。
 
案内広告 西郷隆盛と天孫ニニギノミコト1
案内広告 西郷隆盛と天孫ニニギノミコト2

 

今回の記事に関するアクセス等の情報

地図:GoogleMap  Mapfan  Mapion  マップコード(760 817 894)
緯度経度:N=32.38.58.9 E=131.41.25.4(日本地理系)
駐車場/トイレは、西郷隆盛宿陣跡資料館前にあります。可愛岳登山の為の駐車場も兼ねているのでしょう。結構大きな駐車場でした。
北川陵墓参考地までは、歩いて1分もかからない距離です。
可愛岳への登山ルートは二つ、時間がかかるようです。十分下調べを行った上でお願いします。
可愛岳からの眺望はあまり望めないようです。

可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)概略地図
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古事記の内容と、神々の紹介、非常にわかりやすい本だと思います。
昔の絵図なども豊富に掲載、興味をそそります。

「古事記と日本の神々がわかる本」

表紙カバー 神々の背景は高千穂の雲海(当方撮影)です。
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「古事記」に記された有名な神話と、天皇の事跡をリンク、わかりやすくダイジェストで紹介。豊富な図版による日本の代表的な神々の図典も掲載。「古事記」と日本の神々を知るための入門書です。

吉田邦博:1958年、福岡県生まれ。文筆家。駒澤大学仏教学部卒業後、國學院大學神道學専攻科修了。原始仏教や神道、さらにはキリスト教をはじめとする西洋思想など、多岐にわたるテーマで幅広い執筆活動を展開した。2013年11月23日没

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可愛山陵(えのさんりょう)(北川陵墓参考地)(宮崎県延岡市北川町)





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